• 続・「終活」考。
    「端午の節句」前日の5月4日は、父親が85歳になんなんとする日である。そして時同じくして、母親の祥月命日なのだった。母親が逝って、早3年の春秋が流れた。まことに「白馬が眼前を駆け抜けて行くが如く(『親鸞聖人正明伝』にあるフレーズ)」、あっという間である。年々、毎日が目まぐるしく過ぎ去る感がある。母親が亡くなった時、父親はその《死》そのものに、「人生における最高の《美》を感じた」と言った。我々は生物学...
  • 【INDEX No.120】 アーカイブスガイド
    ■春の陽光を浴びて昼寝を楽しむ270。京都市山科区の京阪電鉄・四宮車庫にて、1981年3月24日撮影。■  ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)拙ブログを始めた頃は、写真を載せるのが主目的だった。その後、おこがましくも仏教のことどもを発信しようと思い立つようになり、ブログ内にさまざまな書庫に分類して、仏教や浄土真宗について書き付けるようになった。しかしながら、自身の身辺に起こりうる悲喜交々が混じり合...
  • ヤブログが終わる…。
    ヤブログのサービス提供が、12月を以て終了するらしい。つい先日、そんな噂を耳にしたものの、さほど気にも留めなかったが、記事を更新する時に表示が出るようになった。過去にアップしてきたデータは、他のブログに移管することはできるようだが、記事に書き込んで貰ったコメントは消えてしまうらしい。何か、ここに紡いできた歴史の一部が欠落してしまうようで、とても寂しい気がする。あるいはここで繋がっている《ブログ友》た...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -52-
        一、文化八年辛未十月五日より九日に至り    先帝后桃園院丗三回忌於清涼殿懺法講被修僧衆十三口、    五ヶ日とも聲明懺法導師梶井承真法親王也、中日例時作法知観僧正、結日    主上御行道あり、    主上御所所※   初日笛  中日箏  結日琵琶    共行近衛内大臣基前      久我大納言通明       廣幡中納言経豊        此等の儀は御法事たびごとの事なれば珍しからぬこと...
  • 阪堺電車、卒寿の古豪。-2017年2月・天王寺遊行-
    【1】【1】四天王寺にて。石鳥居に掲げられた扁額の文字が、淡い西日を受けて輝いていた……。多分、ここへ訪れたのは、小学生の時に両親に連れられて以来だと思う。母親が亡くなって半年余り経過していたが、あまり浄土真宗ではいうことのない「菩提を弔う」という言葉の意味を、寺へ行くたびに考えていた頃である……。この日は平野の融通念仏宗本山・大念仏寺へ参詣した後、四天王寺へたどり着いたのだった。あれから2年の歳月が流...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -51-
        一、享和二年癸亥九月宮中御法事の時の事かと覚へ侍る、    僧正の物語に主上初中結ともに御行道のおもむきに候ところ、    中日には御行道なし、桜町院以来御行道の儀中絶のところ、    このたび御行道の儀ふるきに復せらる、先年は後唄のときは入御なり、    このたび後唄のときも僧衆一列に立形にてわたらせらるとなり、    御所作   初日箏  中日琵琶 巌          結日 笛   ...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -50-
        一、観心院僧正文化八年辛未九月の御法事参勤の時の物語に、    住山後宮中院中並御籠の御法事あはせてこれまで三拾箇度つとめらるゝよし、    六十未満にてこれほど度々参仕せられたる人は近代希なるよしなり、                          光隆寺知影『魚山余響』第32条知影の師匠・知観が、文化8(1811)年九月に勤められた法要の時、知影に語ったことを書き留めているのであろう。た...
  • 【INDEX No.119】 アーカイブスガイド
    ■初冬近し湖西路を快走する、クハ117-1を先頭の京都行き普通電車。2004年11月2日撮影。■  ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)最近、とかく「平成最後の……」という枕詞をここかしこで耳にする。この度の正月もまた、平成最後の年明けとなった。今年85歳になんなんとする父親は、1日1回は河原町の空気を吸わないとおかしくなると言ってはばからない(笑)。三賀日が明けた昨日、父親を連れて三条河原町にある六曜社コ...
  • 佛光寺秋景点描。
    今年も暮れつつある…。今や私の中では当たり前の言葉となった、「無常迅速」である。拙ブログもすっかり放置状態になっていた。聖徳太子の遺言「世間虚仮 唯仏是真」という金言に思いを馳せれば、我が仏門も虚仮なる存在ではないか、そのように考えたりする。まさにそれは「虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」という、宗祖親鸞の深い洞察に思いを致すばかりだ。さりながら、虚仮なる身なれども何か形に残る仕事をして...
  • 【INDEX No.118】 アーカイブスガイド
    ■稲穂が垂れる頃、琵琶湖を背景に湖西線・蓬莱-志賀間を行く113系の普通電車。1987年9月20日撮影。■  ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)凡夫という“汚れた水”も、本願という広大な海に流れれば、海に浄化されるが如く1つになることができる。  渋柿の渋がそのまま甘さかな私がまだ駆け出しの僧侶だった頃、明治大正生まれの御老僧たちからよく聞かされた俳句である……………  (続きを読む↓↓)◆-TOP INDEX 巻...
  • 雄松崎、台風過ぎて…。
    1年ぶりに、近江舞子にたたずむ。昨日からの雨で、行くのが億劫だった。しかしこの風景を眺めると、やはり心が清算されるような気持ちになる。先日の台風21号の爪痕は、浜辺がえぐられていてその酷さに驚くばかりだった。写真は波打ち際がすぐそこだが、1週間ほど前まで浜辺はもっとなだらかに先まで広がっていたのである。定宿の雄松館は去年の台風による竜巻で、想像を絶する被害を被ったという。あれから1年を経て、見違える...
  • 魚山勝林院、「慈母讃嘆報恩会式」。
    残暑厳しき28日、魚山勝林院にて『慈母讃嘆報恩会式』(←クリック)が尼僧のみの式衆で厳修された。この法儀は、「百石讃嘆(ももしゃくさんだん)」を中心に編まれている。「百石讚嘆」は、光明皇后が詠んだ和讚で、平安時代に唐より魚山聲明を伝えた慈覚大師円仁が作曲したと伝える音曲である。昨年まで寂光院で勤められていたが、今回は勝林院での開闢となった。従って本尊は阿弥陀如来となり、昨年まで始経は『地蔵菩薩本願経』...
  • 2018年、第23回「ファインド・アイ 現代・文人光画展」。
    夏が終わる………。今年も京都文化博物館5階ギャラリーにて、去る22日より26日まで「ファインド・アイ 現代文人光画展」が開催された。来場の1日平均の来場者数は、200~300名を下らなかった。遠近各地より有縁の方々の来臨を賜り、まことに感謝にたえない。すっかりモチベーションが低下している状況での出陳だった。過去10年ほどの間、小出しにして来た愚作を一挙に並べ、タイトルだけ新しく『イベリア追憶』としただけである。...
  • 當麻寺遊行。
    【1】【2】【3】ちょうど1年ぶりやあらん、友人と奈良に遊ぶ。奈良国立博物館『糸のみほとけ』展へ行った。小学生以来だと記憶するが、法隆寺所蔵「天寿国曼荼羅繍帳」を見ることができた。そして初めて、当麻寺所蔵の見事な刺繍の曼荼羅「観無量寿経変相図」原本を見る。中将姫が蓮の茎から紡いだ糸で、一夜にして織り上げたと伝わる曼荼羅である。『仏説観無量寿経』に説かれる姿を絵画に表現したもので、画面一杯に阿弥陀三尊...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -49-
    【1】    一、十四行偈上に記す如く幸雄僧都の墨譜にして懺法例時両経段の墨譜を以てつくれり    然れ共幸雄の意初心の目安の為に墨譜のすがたをかへおかれたるところあり    よりて両経段の体をあはせたるものとはしりがたし故に唱ふるもの二伝三伝して    終(つひ)に諷詠のおもむきを失へり    余往年西光寺賢従に此偈をさずかる    賢従の諷詠するところ大に他の僧侶に異なり余かつてこれをあやしむ...
  • 台風一過、琵琶湖夏景。
    台風一過の琵琶湖、下阪本からの風光。近畿地方は何とか無難に通り過ぎて行ってくれたが、この異常気象は、年々、度を超えている感がある。それにしても早い梅雨明けの後、殺人的な暑さに我が思考はマヒしがちである。それでもメンタル的に憂鬱な春先よりかは、幾分ましなのかも知れない。やはりこうして琵琶湖を眺めていると、少しなりとも精神衛生には良いものだ………。相変わらずモラハラやパワハラ、あるいはマイノリティーに対...
  • 炎暑、祇園御霊会後祭宵山。
    父親に付き合い、祇園御霊会後祭宵山に遊ぶ。烏丸通六角辺りに自家用車を駐車し、六角通を西に歩く。途中、六角通烏丸西入ルの浄妙山を見て、新町通に至る。六角通から、新町通を少し南下したところにあるのが北観音山である。北観音山会所の斜め向かいに、父親の高校時代の後輩の屋敷がある。父親はこの後輩と年に一度、祇園祭に出会うのを楽しみにしている。しばしこの屋敷で催される酒宴に過ごす。ここに京都の夏を想う。それに...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -48-
    【1】【2】    一、入出二門偈は法華懺法六根段の墨譜を用ゆ    あながち滞るところなしといへども六根段を唱ふるおもむきなし     右等の数品何人の製することをきかず                             光隆寺知影『魚山余響』第65条「入出二門偈」とは、宗祖親鸞の撰述になる偈文である。浄土真宗各派においては、高田派などもこれを勤行に用いる。今、西本願寺では、御正忌報恩講の中日...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -47-
    【1】【2】【3】【1・2】安政本『聲明品』所収の「文讃」。【3】『合行曼荼羅供』中の「九方便」。ここにも中山玄雄師によって、四箇拍子のことが註記されている。    一、文讃は九方便による    九方便は一拍子にても半拍子にても唱ふるなり    吾山内にて文讃を半拍子にて唱ふることをしりたる人なし    半拍子の方殊勝なり    毎歳九月二十七日大谷十一月二十四日本山    右両度の逮夜文讃を依用したま...
  • 【INDEX No.117】 アーカイブスガイド
    ■真夏の午後、山科築堤を快走する117系シティーライナー新快速。1985年8月4日撮影。■  ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)佛光寺伽藍の南側、高辻通に面して、大きな伝道掲示板が設えられてある。この掲示板には「佛光寺8行標語」と称して、8行の言葉が毎月更新されて掲示される。私はこれを見るのを、とても楽しみにしている。モンテーニュの『エセー』の如く、あるいはゲーテの『格言集』のように明快な言葉が...
  • 拙ブログ開設13年目に。
    早いもので、また1年が経過すれば、拙ブログも13年目を迎えることとなった。気が付けばアクセス数も750000を超えている。まことに有難いことと思う。最近は、聲明に特化した内容ばかりが多くなっている感がある。私が今まで学んできた事柄を、形として記録しておきたい思いを強くしている。自身の存在意義などいよいよ曖昧であり、意味をなすこともない。もし僧籍に在ることに自己の存在意義を見出そうとするならば、それはただた...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -46-
    【1】【2】    一、自帰讃は哭仏讃による    勧帰讃は仏讃によれり                                 光隆寺知影『魚山余響』前項から引き続く条文である。「自帰讃」は「哭仏讃(こくぶつさん)」の譜面を転用し、「勧帰讃」は「仏讃」から転用した音曲である。「哭仏讃」は、天台宗においては釈尊が入滅した「涅槃会」で勤められる、「涅槃講式」に引き続いて唱えられる讃である。その...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -45-
    【1】【2】【3】  一、五眼讃 仏吼讃 諸智讃は宝暦中五百回御忌前に新譜なるよし    五眼讃は四智梵語ノ讃 仏吼讃は僧讃 諸智讃は心略讃によれり      何人の作と云ことをしらず    いずれ面白からぬものなり    五眼讃などは尤滞るところ多し                            光隆寺知影『魚山余響』第62条慶証寺玄智(1734-1794)が著した『考信録』(巻五)によれば、   ...
  • 南志賀田園引水風光。
    実家の北側にある田んぼに、水が引かれた。田植えが済んだ水田も見受けられる。昼と夜との寒暖差が激しすぎる感が否めないが、昼間はややもすれば初夏の気色だ……。さまざまなる思いが去来する、5月の連休である。昨日は母親が往生して、ちょうど2年の歳月が流れた。後日、改めて法要は執り行うことにしているが、三回忌の祥月命日だった。そして奇しくもその日は、父親にとって84歳になりなんとする誕生日でもある。そんな昨日で...
  • 「善導大師画讃」。-知影著『魚山余響』を読む。《40》補遺-
    【1】【2】過日、拙ブログ《知影著『魚山余響』を読む。-40-》(←クリック)において、『魚山余響』第56条について書き付けた。即ち、「善導画讃」をいささか考察した訳だが、西本願寺第14世・寂如が新調した、「七高僧御影」中に自らしたためた「画讃」ではないことが改めて解った。隣山興正寺に知影が書き写した奥書と全く同一の跋文を持つ、「善導画讃」の写本が存在していた。この写本は、興正寺第27世門主・本寂(華園摂信...
  • 魚山聲明・調子笛の《返伝》。
    【1】【2】【3】【4】【1】老師僧が魚山浄蓮華院の師僧を前に、魚山相伝の調子笛を託す旨を記した、「贈り状」を読み上げられているところ。【2・3・4】老師僧から、魚山の師僧に《返伝》された調子笛。箱の蓋の表裏に、相伝した者の名が記されている。調子笛は竹製で朱の漆が施され、各管に金字で音名が記されている。欲しい音の先端を吸うと、調律された音が出る。去んぬる4月17日、私は播州におわす老師僧の御自坊に在った。昨...
  • 湖都春望。-柳が崎・長等山-
    弥生25日、久しく柳が崎の湖畔に立ちて詠みし歌。       冬はてて霞む弥生の柳が崎             そぞろたちたつたそがれのころ同じき28日、所用にて札の辻へ行きし時に、長等山に麓にさしかかりて、早くに満開に咲きたる桜をみるに………      ひととせはせきてすぎなむ去年今年(こぞことし)                     せちに想ひし三井のさくらは弥生の明けて卯月となれども朝夕の寒さは...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -44-
    【1】  一、勧請は我弟子 我今 三世 諸天讃を学ぶべし    勧請の品あまたあれどもこの四箇の墨譜を出さるなり    この四品ともみな古代の墨譜なればふかく意をつけてならふべし    敬礼勧請も一種の体あれども    しひてならふべきほどのこともなきか                                 光隆寺知影『魚山余響』「勧請」とは法要の開始に際して、本尊や諸仏諸菩薩諸天の来臨...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -43-
      一、嘆仏文願生偈略譜 信慧院殿の御作と申つたへたり    二偈ともに重誓偈の躰なり                                 光隆寺知影『魚山余響』第60条信慧院とは、西本願寺第17世・法如(1707-1789)のことである。西本願寺における法如の治世は、長年の念願であった本山阿弥陀堂が再建されるなど、大事業が推進された時代だった。さらに本願寺歴代の遠忌法要が勤められたりして、それが...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -42-
    【1】  一、弥陀懺法に法華懺法の墨譜をつけたる本西光寺にあり    これかの寺の先住賢従の作なるべし    余賢従に聲明をならふときこの本あることしらず    このごろかの庫中にあるを見る    往年知観僧正真身観の墨譜をくだされたるときも    この本あることをしらず    今これを観僧正の作にくらぶるに経題の墨譜などはいづれ是非しがたし    各ふかく意を用るのところあり此事余別論あり   ...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -41-
    【1】  一、弥陀懺法は四明遵式の撰といひつたへたり    墨譜は何人の作なるや古代の製と見へたり     全早懺法の体にならへり 殊勝なるものなり    吾山内にて五十年ばかり前まで例年十一月二十一日逮夜に依用したまふよし    近年はこれをやめられ十二光礼を依用したまふ    去年文化八年辛未四月    前住信入院殿十三回忌御法会第七逮夜に弥陀懺法を依用したまふ    奉請段などはのぞきて唱ふ...
  • 山科毘沙門堂の桜。
    山科の北端に所在するのが、毘沙門堂門跡である。つぶさには護法山出雲寺といい、天台五箇室門跡の1つである。小学生の頃、琵琶湖疏水(←クリック)からこの辺りにかけては楽しい遊び場だった。毘沙門堂の境内や裏山を駆けめぐった日々が、懐かしく思い出される。春の桜の美しさは昔日のままだが、それにしても随分と観光客が増えた。午後2時を過ぎる頃に訪れると、本堂内陣左側の不動明王の尊前で、護摩供がひっそりと勤められ...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -40-
    ▲文化元年刊・3冊本『聲明集』ないし、安政4年刊・4冊本『聲明品』から書写された聲明帳に見える「仏徳頌」。「仏徳頌」は、真宗興正派では現在も依用されている。1行目1字目の「如」は、現行『真宗興正派 常用聲明集』では、《ソリ・ユリ二》となっている。また、下の写真の3行目2字目に見える「尊」という漢字の右側に付された譜は、7字目の「聲」よりも高い音位を表している。即ち《徴(ち)》の音であるが、《ユリ》...
  • 空の名残…
    なにがしとかやいひし世捨人の、「この世のほだし もたらぬ身に、たゞ空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。これは吉田兼好に成る、『徒然草』第20段の全文である。「ある世捨て人が、《この世では何も束縛されるものを持たない身の上とはなったが、ただ過ぎ去って行く時の流れだけが惜しく思える…》と言っていたけれど、本当にその通りだと思う」といったほどの意味である。ここにある「空の名残」とは...
  • 桜咲く頃、南滋賀駅にて。
    母親の誕生日である。生きておれば、今日で79歳たらん。間もなく三回忌を迎える。2年という歳月が、あっという間に流れた。何やらここ数年、毎年春になると京阪石坂線・南滋賀駅での写真をアップしている。この駅には、見事な桜の老木が生えている。つい、満開の桜と電車を並べて撮りたくなるだけのことである……。過日のダイヤ改正を機に、旧「浜大津」「別所」「皇子山」「坂本」の各駅名が、それぞれ「びわ湖浜大津」「大津市役...
  • 枳殻邸の春。
    昨日、父親が東本願寺の枳殻邸へ行きたいと言うので付き合った。枳殻邸とは、正しくは渉成園と称する東本願寺の別邸である。徳川家光が寄進し、石川丈山の作庭なのだという。かつては鴨川に接する広さだったというが、現在も広大な庭園である。枳殻邸の持仏堂である園林堂と、その正門たる傍花閣の周辺は、4月を待たずして桜が満開となっていた。例年よりも一週間以上早い開花にしてそれも満開というのは、何やらほんの少し、得を...
  • 「千本釈迦念仏」。
      千本の釈迦念仏は、文永の比(ころ)、如輪上人、これを始められけり。………とは、吉田兼好の『徒然草』第228段である。如輪上人とは、千本釈迦堂大報恩寺第2世である。法然の弟子・長西に師事した、浄土門を修めた僧侶でもある。彼岸中日の翌日、千本釈迦堂へ「釈迦念仏」を聴聞すべく参詣した。具さには、『釈迦念仏遺教経会』という。中心となるのは、『仏垂般涅槃略説教誡経』を読むものである。本来は2月の涅槃会前日に、...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -39-
    【1】【2】【3】  一、重誓偈は大懺悔による    十方念仏は早懺法の十方念仏による    余宝泉院に於て其草本を見る    作者の名はしれず                          光隆寺知影『魚山余響』「讃仏偈」「重誓偈」は、ともに『仏説無量寿経』巻上にある偈頌(げじゅ・詩文)である。さらに同経巻下には「東方偈」(←クリック)という偈頌がある。これらの偈頌に旋律を付けて唱えるのは、浄土真...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -38-
    【1】【2】▲【1】魚山・幸雄自筆の「讃仏偈」。【2】安政本『聲明集』所収の「讃仏偈」。1句目・調声部分に入れられた朱の博士は、『龍谷唄策』所収の「讃仏偈」の博士を書き入れたものである。園部覚秀は『龍谷唄策』編纂に際し、「讃仏偈」の冒頭に経題を加えている。従って1句目から同音(大衆唱和)となるので、博士も書き換えたのであろう。  一、讃仏偈文類十四行偈「呂律着座讃」敬礼勧請式間和讃は幸雄の墨譜なり  ...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -37-
    【1】【2】▲【1・2】恐らくは文化元年に発刊された3冊本『聲明品』乃至、安政本『聲明集』からの書写と思われる写本に見える「往還偈」。これが安政本『聲明集』に至って、本来の正式名称である「二門偈」と表記されるようになる。そして明治になって発刊された『龍谷唄策』では、譜面も「文類偈」の譜に改められる。  一、本山往還偈願生偈は魚山珍雄の墨譜也    余宝泉院に於て其草本を見る    往還偈の奥に此本者就...
  • 瞬間移動的、三内丸山遺跡。
    三内丸山遺跡で最も大きい住居跡に復元された竪穴式住居。その傍らには、この遺跡のシンボル的な物見櫓が立っている。雪のない季節は芝生が植えられた広場なのだと思うが、1メートルほどもある積雪で辛うじて通路だけが除雪されていた。縄文時代の住居の向こうに見える送電線と鉄塔が、妙に滑稽に見えた。もう少し周辺の景観を考慮すべきだと思う……。所用で弾丸よろしく、日帰りで青森へ往復した。昼前の飛行機で伊丹空港を発ち、...
  • におの浜早春。-びわ湖開きの頃に…-
    昨日、父親とともに甲賀市信楽のMIHO美術館(←クリック)へ、春季企画展の内覧会を見に行った。父親を連れて行くのは、1年ぶりのことである。この日の信楽は、生憎のみぞれが降るような天候だった。ふと、1年前の記憶が甦る。ちょうど琵琶湖開きの前日だったかと思うが、信楽から帰ってくる途中、夕方の渋滞を避けてにおの浜の湖岸を走った。季節外れの花火が打ち上げられていて、比叡山の向こうに沈む早春の残照とともに美...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -36-
      一、同記に作相の事あり    一番作相従大至小二十下二反    二番作相従大至小二十下三反    露地偈作相従小至大四十下一反    三千威儀経説    斎会布薩臨作相      従小稀至大二十下      復大三下    右記奥書    寛政丙辰春以蔵松院元瑞比丘本宏謹謄                              光隆寺知影『魚山余響』作相(さそう)とは、図版の如く鐘を打ち上...
  • 【INDEX No.116】 アーカイブスガイド
    ■山科駅を通過する大阪行「トワイライトエキスプレス」、廃止前の最後の勇姿。2015年3月2日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)梅の花が咲き始めている。1ヶ月も経たない内に、桜もほころび始めることだろう。先日、母校の本館講堂で、大学時代の恩師の追悼法要が有志主催で執り行われた。法話の中で、亡き恩師は新たな学説を提示されていたことをここで知った。サンスクリット語《sat-puruṣa》と...
  • 嵯峨野、嵐山。-嵯峨釈迦堂雑想-
    最近の父親は、自身にとって懐かしい場所へ行きたがる。それは決して昔訪れた場所とは限らないが、父親の中で出来上がっている感覚的なものである。春めいた暖かさが、梅を開花させている。父親が嵯峨釈迦堂へ行きたいと言うので、付き合った。嵯峨釈迦堂こと清凉寺の本尊、栴檀瑞像と称される釈迦如来像は、昨秋開催された「国宝展」にも《出開帳》された仏像である。この釈迦如来は開基・然大徳によって、宋から請来された唐代...
  • 知影著『魚山余響』を読む。 -35-
    ▲明治21年に刊行された『龍谷唄策』中、「四箇法要」にある「散華」。 一、稽首天人の偈頌ある散華を弥陀散華といひ   天地此略の文あるを釈迦散華といふ   本山御依用は弥陀散華なり   元禄中魚山幸雄僧都より当山内の僧侶に授与せらるゝ本にはみな弥陀散華を書のせらる   近代稽首天人の偈をやめられ散華荘厳の四句を用ひらる   この散華は廣布薩式と云 唐招提寺の蔵書にものせたり   余曾(かつ)て其写を...
  • 『三十二相』管見。
    【1-1】【1-2】【2-1】【2-3】【1-1】『龍谷唄策』から書写された『三十二相』。この写本は「妙相讃嘆会」を写している。黄鐘調・延只拍子は「散吟打毬楽」の伴奏で唱える。「散吟打毬楽」は明治の楽目から消えた雅楽曲で、現在は演奏されていない楽曲である。【1-2】同、急。こちらも黄鐘調で、「鳥急」の伴奏で唱える。「鳥急」は、壱越調「迦陵頻急」が黄鐘調に転調した楽曲である。【2-1・2】老師僧の手沢本による『三十二相』...
  • 「正信念仏偈」唱読音改正雑感。
    ▲蓮如上人開板・文明版「正信偈和讃」。文明版には、「正信偈」「三帖和讃」ともに博士が付けられていない。西本願寺の御藏版「正信偈和讃」に博士が付くのは江戸時代末期からである。ちなみに写真の本は昭和12(1937)年に、法蔵館(←クリック)から限定100部で発刊された復刻版である。平成30年元旦を期日として、我が宗門では「正信念仏偈」の唱読音が変更された。即ち、発表された文言をそのまま引用すると以下の如くである。...
  • 西本願寺・御正忌報恩講。-出仕雑録-
    【1】【2】【1】1月10日の第1晨朝の後に。冬の朝日を浴びる御影堂。【2】12日、中逮夜が始まる前に。正面通から堀川通を隔てて御影堂門を望む。今年も本山西本願寺にて、御正忌報恩講に出仕す。ほんの小一時間の正座が、しんどくなった。何よりも私は、体力気力ともに、年を追うごとに萎えて来ている。途中で出仕を打ち切るのもやぶさかではないと思いながら出仕を続けていたが、何とか満日中出仕を以て皆勤することができた。恥...
  • 法藏館の土蔵。-東本願寺前の仏書林-
    【1】【2】【1・2】土蔵の中。目に入るものは全てが版木である……。版木は言わずもがな、版元の財産そのものである。京都駅近く、東本願寺の向い側に法藏館という400年続く仏教書の出版社がある。直接的には幕末の文化年中に本家の版元から分家して創業したというが、本家は昭和初期になくなり、法蔵館が本家の生業を引き継いでいるのだという。この出版社の存在は、私が仏教を学び始める以前から知っていた。我が家には祖父や父親...

プロフィール

namoamidabutsu18

ようこその御来遊、有難うございます。
令和元年8月31日、Yahoo!ブログより移転しました。
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京都、宗教、今時のこと。そして、好きな酒について…。
心に移りゆく「よしなしごと」を書こうと思う。
あと、しばし撮り溜めた隣国・近江の琵琶湖の写真など…。
要は気ままに更新して参ります。
自身への癒やしはここへ来られる方々のためにも…と思いつつ。

浄土真宗に籍を置く僧侶。
そして自称、第一線(何をそういうのか解らないけど・笑)から遠のいている遁世僧。
宗門からは一応、「布教使」という資格を受けている。
一時期、精力的に出講すれども…今は「遁世」の身(笑)。

生まれも育ちも京都市。
口が達者と言われるけれど、全くそんなんじゃない、口べた。
ただまあ、いろいろ世の中の物事について考えている方だから、
理屈っぽいとは思うけど・苦笑。

僧侶の傍ら、今は京都市内の某マスコミ関係に勤めながら、「二足の草鞋」で生きている。(※2007年5月に退職)
そんな生活に一抹の自己矛盾を感じながら生きているけど、そこが人間のペーソスだと思っている。
仏の慈悲心とは何ぞや?!と、毎日頭のどこかで考えている。

僧侶だが、宗派の慣習で髪の毛あり。
得度式の時は剃髪した。
頭がマジックテープ状態になって、枕にへばりつき、寝にくかった記憶あり。
随分昔の懐かしい思い出。
私服だと僧侶とは判別しにくい。

そんな私は、自分の技量のほどはともかくとして、
ずっと師僧に師事して古儀の聲明(しょうみょう・仏教声楽)を学んでいる。
仏教儀礼というのは一度簡略化してしまうと、元の姿に復元するのは困難だとされている。
そこで師僧のライフワークでもある、簡略化される以前の、本来に戻す作業をお手伝いしつつ、
仏事本来の意味を考究したいと思ってやまない。

そんな私ではありますが、ふと足を止めて何か感じて下さったら、是非足跡残して下さいませ…。
一期一会を有難うございます。m(_ _)m

【気ままな遁世僧 Ren'oh】より    

(2005年拙ブログ開設当時の紹介文です)

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