知影著『魚山余響』を読む。 -52-

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  一、文化八年辛未十月五日より九日に至り
    先帝后桃園院丗三回忌於清涼殿懺法講被修僧衆十三口、
    五ヶ日とも聲明懺法導師梶井承真法親王也、中日例時作法知観僧正、結日
    主上御行道あり、

    主上御所所※   初日笛  中日箏  結日琵琶
    共行近衛内大臣基前
      久我大納言通明
       廣幡中納言経豊


    
    此等の儀は御法事たびごとの事なれば珍しからぬことなれども
    物語をきゝ候ことを記しをくのみ、



                       
                             光隆寺知影『魚山余響』第34条

                             ※所作の誤記と思われる。




第33条と同様の記録である。
こちらは文化8(1811)年に勤められた、後桃園天皇三十三回忌の御懺法講の記録である。
知影自身も記すように、年回ごとに勤められる宮中の法事のことであるので、
特に珍しいことではないが、伝え聞いたことを書き記し置くといった程度のものである。
第32条では文化8年9月と記している御懺法講が、これのことであろう。

ところで、江戸時代の御懺法講より、皇后など皇族の「御忌」は3日間、
天皇の「聖忌」は5日間の法要が勤められるのが通例となった。
ここでは5日間の内、「聲明懺法」の調声は宮門跡が務め、
中日の「例時作法」は知観が調声を務めたという。

御懺法講の導師に関しては、往古はその都度さまざまな僧侶が務めている。
特筆されるのは准三后・足利義満が、
応永13(1406)年1月に勤められた後光厳院三十三回聖忌に導師を務めている。
義満は『魚山聲曲相承血脈譜』(←クリック)にもその名を連ねる、聲明の達者である。
そしてこの時、義満が師匠である魚山の良雄をこの法要に招聘してより、
魚山法師が御懺法講に出仕する例ができたのだという。
このことは知影も本書第42条に書き記している。

また、魚山を統括する梶井門跡が常に導師を務めるようになったのは、
江戸時代になってからのことという。













































■知影著『魚山余響』を読む。
■知影著『魚山余響』を読む。-2-
■知影著『魚山余響』を読む。-3-
■知影著『魚山余響』を読む。-4-
■知影著『魚山余響』を読む。-5-
■知影著『魚山余響』を読む。-6-
■知影著『魚山余響』を読む。-7-
■知影著『魚山余響』を読む。-8-
■知影著『魚山余響』を読む。-9-
■知影著『魚山余響』を読む。-10-
■知影著『魚山余響』を読む。-11-(第一条)
■知影著『魚山余響』を読む。-12-
■知影著『魚山余響』を読む。-13-
■知影著『魚山余響』を読む。-14-(阿弥陀懺法について)
■知影著『魚山余響』を読む。-15-(阿弥陀懺法について)
■知影著『魚山余響』を読む。-16-(阿弥陀懺法について)
■知影著『魚山余響』を読む。-17-
■知影著『魚山余響』を読む。-18-
■知影著『魚山余響』を読む。-19-
■知影著『魚山余響』を読む。-20-
■知影著『魚山余響』を読む。-21-
■知影著『魚山余響』を読む。-22-
■知影著『魚山余響』を読む。-23-
■知影著『魚山余響』を読む。-24-
■知影著『魚山余響』を読む。-25-
■知影著『魚山余響』を読む。-26-
■知影著『魚山余響』を読む。-27-
■知影著『魚山余響』を読む。-28-
■知影著『魚山余響』を読む。-29-
■知影著『魚山余響』を読む。-30-
■知影著『魚山余響』を読む。-31-
■知影著『魚山余響』を読む。-32-
■知影著『魚山余響』を読む。-33-
■知影著『魚山余響』を読む。-34-
■知影著『魚山余響』を読む。-35-
■知影著『魚山余響』を読む。-36-
■知影著『魚山余響』を読む。-37-
■知影著『魚山余響』を読む。-38-(勧請について)
■知影著『魚山余響』を読む。-39-
■知影著『魚山余響』を読む。-40-
■知影著『魚山余響』を読む。-41-
■知影著『魚山余響』を読む。-42-
■知影著『魚山余響』を読む。-43-
■知影著『魚山余響』を読む。-44-
■知影著『魚山余響』を読む。-45-
■知影著『魚山余響』を読む。-46-
■知影著『魚山余響』を読む。-47-
■知影著『魚山余響』を読む。-48-
■知影著『魚山余響』を読む。-49-
■知影著『魚山余響』を読む。-50-
■知影著『魚山余響』を読む。-51-

■写真■
三千院門跡・御懺法講総習礼の様子。
京都市左京区大原の三千院門跡にて、2017年3月11日撮影。
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コメント

ぴあの♪

No title
義満が魚山声明を極めていたことを初めて知りました。
宮中御懺法講を後白河院が始められ、その後三千院においての最重要法要として続いていることに歴史を感じます。

Rev.Ren'oh

No title
> ぴあの♪さん

いろいろ調べていると、面白い史実に出くわします(^^)。今や金閣寺は臨済宗ですが、それを創建した義満は天台僧だったということですね。でも、その頃の御懺法講の出仕記録によれば、東寺からも出仕僧がいるので、声明の違いはどう克服していたのかが不思議です。真言声明と天台声明は、旋律にかなり違いがあり、それは当時もそうだったと思います。

Rev.Ren'oh

No title
> 内緒さん
そちらへ……♪♪
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プロフィール

namoamidabutsu18

ようこその御来遊、有難うございます。
令和元年8月31日、Yahoo!ブログより移転しました。
……………………………………………………

京都、宗教、今時のこと。そして、好きな酒について…。
心に移りゆく「よしなしごと」を書こうと思う。
あと、しばし撮り溜めた隣国・近江の琵琶湖の写真など…。
要は気ままに更新して参ります。
自身への癒やしはここへ来られる方々のためにも…と思いつつ。

浄土真宗に籍を置く僧侶。
そして自称、第一線(何をそういうのか解らないけど・笑)から遠のいている遁世僧。
宗門からは一応、「布教使」という資格を受けている。
一時期、精力的に出講すれども…今は「遁世」の身(笑)。

生まれも育ちも京都市。
口が達者と言われるけれど、全くそんなんじゃない、口べた。
ただまあ、いろいろ世の中の物事について考えている方だから、
理屈っぽいとは思うけど・苦笑。

僧侶の傍ら、今は京都市内の某マスコミ関係に勤めながら、「二足の草鞋」で生きている。(※2007年5月に退職)
そんな生活に一抹の自己矛盾を感じながら生きているけど、そこが人間のペーソスだと思っている。
仏の慈悲心とは何ぞや?!と、毎日頭のどこかで考えている。

僧侶だが、宗派の慣習で髪の毛あり。
得度式の時は剃髪した。
頭がマジックテープ状態になって、枕にへばりつき、寝にくかった記憶あり。
随分昔の懐かしい思い出。
私服だと僧侶とは判別しにくい。

そんな私は、自分の技量のほどはともかくとして、
ずっと師僧に師事して古儀の聲明(しょうみょう・仏教声楽)を学んでいる。
仏教儀礼というのは一度簡略化してしまうと、元の姿に復元するのは困難だとされている。
そこで師僧のライフワークでもある、簡略化される以前の、本来に戻す作業をお手伝いしつつ、
仏事本来の意味を考究したいと思ってやまない。

そんな私ではありますが、ふと足を止めて何か感じて下さったら、是非足跡残して下さいませ…。
一期一会を有難うございます。m(_ _)m

【気ままな遁世僧 Ren'oh】より    

(2005年拙ブログ開設当時の紹介文です)

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